女の子の怒りについて
http://po-m.com/inout/200606yarita01.htm
↑詩人でもあるヤリタミサコ氏の論考。これを読んで、一部の男子の女性化願望というのは、この種の「怒り」「悪意」「敵意」を欲望しているのではないかと思った。ヴィジュアル系に引きつけて言うなら、ヴィジュアル系の男性が女性的な装いをするのは、単なる差異化ではなくてある種の「怒り」「悪意」「敵意」を纏うためなのではないか。何故、わざわざ男性がジェンダー規範を侵犯してまでその種の装いをしなければならないのかと言うと、女性の生理的な条件を持たないがゆえに、その欠如から欲望が産まれているのではないかと考えられる*1。逆にこの種の装いを敢えてしている男性を女性ファンが肯定するのは、その男性が欠如を抱えながら女性的条件による「怒り」「悪意」「敵意」を、同情や良心からではないにせよ、理解しようとしているからではないか。*2
もちろん、ヴィジュアル系という、それ自体グズグズでまとまりのない集合の性格を上記傾向だけを持つものと言うべきではない。たとえば女装傾向には、江戸時代にもあり、たぶんその前後から連綿と続いているような、下町男性の、「両性具有的男性性」*3とでも言えるようなある意味独特な「男性性」のあらわれもあるだろう(というかこれはけっこう強いと思う。ヤンキーがおばさん的なスタイルを志向するのと通底する傾向)。この「両性具有的男性性(ヤンキー系女装傾向)」と、外来のピューリタン的性規範に対する(男性の)反抗のスタイルに、さらに男性中心のシステムにおける女性の生理的条件の疎外からくる「怒り」「悪意」「敵意」を装うことが重なると、ヴィジュアル系における独特な雰囲気の女性装が理解されるのではないかと思われる。
ただ、「ヴィジュアル系における独特な雰囲気の女性装」と書いたけど、シャズナとかみたいな世代以降になると、その「怒り」「悪意」「敵意」というのがかなり関係なさそげになるし、Xとかみたいな第一世代的な連中は逆にヤンキー系志向だけで足りてる気もするので、あくまで全体として、上記三種が入り混じっているようだということ。特に該当すると思われるのはルナシーのスギゾー、Xのhide、黒夢(これはかなりモロ)、最初期のラルク、マリスミゼルとかそのあたりかな。