いまさらあらためて気付いたけど、『アンチ・オイディプス』って精神分析批判、資本主義批判である以前に、「オイディプス」をひとつの「構造」として、「構造主義批判」をやっている論考なのね、、、。そうではないかと思っていたけど、こうして書き出してみると自明すぎて書く必要すらなさそうなことではあるんだけども、、、。いや、むしろそう読むのは誤読?