舞城王太郎『九十九十九』まもなく読了

九十九十九 (講談社ノベルス)

九十九十九 (講談社ノベルス)

を今更ながらトイレにおいて読んでいる。
最近ははてなほぼ毎日更新している「闇夜」の作者が実は舞城ではないかという説が出ているけれど、新潮の連載は僕はあまり面白いとは思っていない。断片しか読んでないから、そのうちちゃんと読まなきゃな。んでこれも今更感があるんだけど、この『九十九十九』はメタフィクションという点で『涼宮ハルヒ』シリーズに対する批評的な対応作としても読めると思った。単純に比べると『九十九十九』はより複雑で抽象度の高さが徹底させながら純文学的な人間の主題を中心に据えていて、対して『涼宮ハルヒ』はメタフィクション性すらも作品の萌え要素のひとつとしてちょっと抱えただけでありシリーズ全体としてはキャラの可愛らしさやネタ的な煩悶の意匠を楽しむだけのものであるようにも読める。しかしこの対比から浮かび上がる作者のスタンスの違いは結構重要なんじゃないだろうか。

物語だよ物語。これは嘘であって偽物であってあくまでも本物じゃないんだから。ここでの現実が外での現実とは限らないんだよ。そして物語っていうのは現実世界でのインモラルも積極的に引き受けていくものなんだ。

何を言いたかったのかまたよくわからなくなってきた。「闇夜」は面白いです。ただあれが舞城かどうかはどうでもいい。
あと同人誌「アラザル」もようやくちゃんと読めるようになってきた気がする。意欲的であるというだけでなく、ネット論壇のようなライトな感じに抵抗する(?)だけあるなと思わされる保守性が気持よく読めるようになってしまった自分に少し驚いた。