若干実況的に。

まずは永山氏がイベント開始当初に言っていた、『テヅカイズデッド』が先に出てしまったので、実証的な図像学的な研究を『エロマンガスタディーズ』に入れられなかった、という話が印象的だった。是非増補版などが出る際には含めてみてほしい。いっそのこと、伊藤氏と共著にでもして、エロマンガ研究の二冊目のスタンダードを出してもらいたい気がする。要するに性器の描写の露骨さやボカシの歴史的変遷とか、擬音の変遷とかの話。みんなも読みたいでしょ?

エロマンガスタディーズ』をゲストが褒めるところでは、司会の伊藤氏は「90年代後半についてちゃんとした研究がされていない(意訳)が、永山氏の仕事ではそれが語られている。切り捨てていない」、東さんは「『エロゲとエロマンガって大差ないじゃん』というネット上の批判を読んだことがあるが、それはエロマンガを語ることがエロゲを語ることに繋がっていくという歴史的文化的な脈絡を可能にしたという永山氏の業績を讃えているのと同じだ(大意)」と語っていた*1斉藤環氏からの祝電でも、中立的で苦労を滲ませないスタイルを讃えられていた。

要するにコンスタティブな研究によって、スタンダードが示されることが、いまパフォーマティブに刺激的だということだったと思う。東氏が「僕は永山さんを尊敬しているんですよ」としみじみ言っていたのは、この十分コンスタティブでかつパフォーマティブにも効果的であることが彼の価値観において明確に評価できるものだからだろう。そういえばとうとう始まったギートステイトはそういう意味でどうなるのか非常に楽しみ。東氏がずっと無視しているように思えていた浮浪者の問題(生田武志の問題系に繋がるか?)が真正面から語られることになるのかどうか。

ともあれ第一部の締めくくりでは、東氏のナビゲートによって、永山氏の経歴が紹介されるんだけど、そこでもニューアカの源流に棹差しながらも、自販機本の編集とかに携わっていたりと、知的で高踏的なものと、下卑てふざけたものとに垣根なく活動していたことがわかった。本当はこのことは80年代のニューアカそのものの性質と矛盾していないんだけど、やっぱりマスコミに積極的にとりあげられた層はどことなく漂白されている気がする。永山氏は非常に好感が持てる「オヤジ」的な雰囲気で、彼の息子さんがとてもうらやましく思えた。小説も読んだけど、ハードボイルドななかに、どこか生暖かい、いなたい、人肌めいた感覚があって、それが気持ち悪くも心地よかったのが印象的だった。

*1:小谷氏が何と言っていたか思い出せないのは何でだ、、、。