「アート」における戦争

そういえばMXテレビyoutubeと提携したんだよな。youtubeはいろんな企業とたくさん提携するといいと思います。でもその過程で削除されるコンテンツも多いだろうから、ユーザーは今のうちに気に入ったコンテンツはじゃんじゃんローカルに保存すべきだと思います。あるいはオルタナティブなサービスにコンテンツを移動させるとかね。
戦争というのは、単純化した理解で言えば、異なる法体系のあいだで互いを否定しあうことである。その意味で

で、「作戦」とか「挑戦」ということばが飛び交うのは適切だと思う。正直、「落書き」がされるまえの作品は稚拙で手抜きであり、鑑賞者をバカにしているように見える*1という意味で、個人的には否定されたり嘲笑されても当然*2だろう。完成度が低いと判断されたが故に、そのうえに別の作品が「提案」されたと僕ならば考える。それが違法だというのは、日本という国を自明のものとし、法律というものを所定の方法でしか改変できないと考える立場からのみの発想だ。ストリートにはストリートのルールがある、というのが、あの、それなりのクオリティが認められるグラフィティを指して「ひどい落書き」と言わざるを得ない立場なのだろう。
その立場が窮屈そうだなと思った次第。そういうわけなので、自明と信じることしかできない国の、所定の方法でしか改変できないと思われている「法律」でもって、それらのもつ重みと恐怖でもって脅迫的に「落書き」を阻止しようとする番組のスタンス*3よりも、実は好戦的に「挑戦に挑戦で応える」「もっとキレイなものを描くしかない」と言っている人たちの態度が、その立場のとりかたはともかくとして、正しいといえば正しいのだろうと思った。
ちなみに上掲の動画で自治体側の告知を聞いてる人たちのなかに「お前らが『落書き』したんじゃないのか?」という感じのストリートな風貌の人がいたのが面白かった。

*1:もう少し丁寧に言えば、ありもしない「低次元」の感性に向けた感じがするというべきか。大衆性とか単一性とかを感じさせ、多様性や強度に乏しい傾向が見受けられた。まあ、そういうのばかりを番組がとりあげていたのかも知れないけど。公共空間に学生が描くものなんか「こんなもんだろう」と想像していたレベルを軽く(だめな方に)超越していて驚愕した。

*2:というか、僕がそのように見ているということなので、客観的にはこの文は単なるトートロジーなんだけど。

*3:白々しすぎて逆に批判的意図があるようにも見えたんだが。