昨日のチンポムの話の続き

http://d.hatena.ne.jp/mmpolo/20070806/1186349338
↑で触れられているように、日本でもエロでポップなシーンはあった。村上隆は実はそこを経由しているが最近はどうも隠蔽しているような気がしないでもない。もっとも、エロと残酷さというテーマはウォーホルもデミアン・ハーストも関わっていて、村上隆もその系譜に連なっている(アート集団をプロデュースするというところまでいっしょ)。だが『芸術企業論』を読む限りでは、村上隆は少なくとも猥雑さに関してはそれをコントロールして作品を「商品」の枠内に留まらせようとするのに対して、会田誠Chim↑Pomは「商品」という位相は村上ほどには意識していないように見える。
これはおそらく、それぞれの作品の差し向ける先を誰だと認識しているかという問題に関わるのかも知れない。村上隆は極めて明確に、最終的にはつねに世界的な大富豪(アートのようなものに数百ドル、数億円払えるような人々)を相手にしている。他方、会田誠やチンポムはもっと俗な人々*1、お金がなくて、でも面白いものや社会批評性があるものが好きな人々に向けて作られているような気がする。会田誠やチンポムのようなスタンスは、『芸術起業論』では唾棄されている*2。国際的に巨大なアートマーケットが存在していて、そこに母体を持つ経済の支流としての日本のアートシーンのなかだけで、うわっつらだけ社会批評めいた作品づくりを行っても、しょせんはグローバルなマーケットに踊らされているだけなのではないか、巨大なマーケットでも流通して、源流からお金をブン盗らなきゃ嘘じゃないか、という気もする。youtube素人の乱にインタビューされていたけれど、ローカルに小さく完成していくのだろうか、それもまた悪くはないと思うけど。
・・・と書いたんだけど、セレブを攻撃する『アイムボカン』や、ギャラリー(の機能)を破壊した『日本のアートは10年遅れている、欧米のアートは7〜8年遅れている』などを見る限り、チンポムも矛先を大衆よりもアートピープルに向けているのかもしれない。今後も危険であり続けてほしいけど、でも世界的なマーケットを騒がす存在にもなって欲しいところ。
村上隆の近作がどことなく退屈になってきているように見えるこの頃、かつて村上隆が身を浸し、そして抜け出した文脈がいまだ生き続けていること、そして今後どのようになっていくのかに注目してみたいと思った。個人的には、エリイがシャネルとコラボするというのがいいと思います(ギャルだから)。

*1:超大富豪とかになるとたぶん、お金がありすぎてある意味で超俗していると思う。チョー俗な人々であるだろうという点では、金持ちも俗人には違いないんだろうけど

*2:村上隆自身が彼らを否定しているという事実はたぶん無いと思うけど