今日はナディッフギャラリーが恵比寿にオープンしたので

オープニングパーティに行ってきました。以前にアグネスホテルのイベントのときも思ったけど「こんなにアート関連の人間って多いんだ!」と改めて感じさせられました。どこもかしこもぎゅうぎゅうづめ。でもお金持ってる(冗談みたいにLEON丸写しの)オッサンと、話してても我が強いばかりで面白くもなさそうなおばさんやお姉さんと、あとは小奇麗なのと貧乏臭い若い男性が多かったです。面白そうなのは幸せそうに笑ってる数人のお爺さんだけでした。まあ客が面白い必要はないのかも知れないけど。
ちなみにB1のChim↑Pomの『日本のアートは10年おくれている、欧米のアートは7〜8年おくれている』は必見。今後も注目していきたい集団だと思った。ネタばれになるので隠します。
地下にあるギャラリー(今日オープン)がいきなり汚水で水没していて、作りかけのまま放棄された建築のように、低俗な落書きが溢れている。危うい足場に身を屈めながら入り口から少し入ると、そこには小さな液晶モニターが設置されていて、汚水に膝から腰まで浸かったChim↑Pomのメンバーがギャラリーの壁に向かって次々に放尿し、落書きをし、奇声をあげてはしゃいでいるサマが流されている。嫌悪感と開放感と、あと彼らにこういったことをさせる「何か」に対する不穏な予感が満ち満ちていて非常に不安になる。稀有な体験だった。しかしこれ、次の展覧会のときはどうするのだろうか。
また、たぶん聞き違いだと思うんだけど、「このビルは戦時中から残っているビルで、地下は防空壕だったが、焼け出された人々が大勢集まりすぎたために大量の死者が埋まっていた」という話をパーティで話している人がいたような気がして、もしそれが事実だったとして、それを知った上でChim↑Pomの人たちが壁に放尿し落書きをしていたのだとしたら(そういう類の悪ノリはしない連中かも知れないのだけれど)と思っていっそう気分が悪くなった。
気分が悪くなったと言えば、ナディッフa/p/a/r/tのほうで常時流されていた映像「こッくりさんタトゥー」の、でたらめに背中を彫られる男性の悲痛な叫び声と、それをみて笑うChim↑Pomのメンバーの声とが織り成すコントラストもつらかった。悪ふざけで痛みや「とりかえしのつかないこと(タトゥーが実際に取り返しがつかないかどうか、という問題ではなく、イメージの問題として)」を笑うという態度は、イジメと直結していて、たぶんこれも意識的だったんだろうな。背中をでたらめに彫られていた男性の声は、おそらくワザとおおげさにしていたところがあると思われるにせよ、実際の無軌道な痛みを反映して、ほんとうに痛々しい思いがした。
パフォーマンスアートの文脈では、私が知る限りでは、秋田昌美が90年代中頃に紹介していたアクション(ウィーンとかの)による自己破壊系のものが連想させられるけれども、Chim↑Pomのパフォーマンスにおける破壊行為は、それが「わかりやすい切実さ」ではなくて、必死の自己肯定やポジティブネスの行き着く先(もしくは通過点)として行われている、その、行為者の明るさや、メンバー間が「楽しんでやっている」と思しきサマがとにかく怖い。
若手の「批評家」のみなさんは、退屈な社会分析やメディア批判をしている暇があったら、彼らについて文章を書けば面白いんじゃないかと思うんだけどいかがなものか。