ロベルト・ロッセリーニ『ヨーロッパ1951』をDVDで観た。

ヌーヴェルヴァーグの父」と言われるロッセリーニの作品。イングリット・バーグマンの顔がすごい*1
政治的問題というよりも、さらに「社会的」な問題を扱った作品だと思う。人はどのような善行を為すことができるのかという問題に、否応なく眼を向けさせられる。貧しい者たちの苦痛を分かち合おうとした主人公に対して、映画の終幕近く、主人公に捨てられたかたちになった裕福な夫、その夫と利害を共有している裕福な連中が、「彼女が正しいと思うなら彼女に従うべきだろうが、我々にはその勇気はない。規則は規則。規則は守らなければならない」とはっきりと口にする、その屈託のない様子と、そのあとさも真摯に親しげに、主人公に向かって「これはあなたのために話を聞くのだ」と言うシーン*2のリアリティが重かった。
愚直に、直情径行的に善行を為すのはしかし、相対的には無力だ。その無力さを、その美しさ以外で称揚することはできるのだろうか。あるいは、その無力さを美しさのために利用すること*3を許容することはできるのだろうか。要するに、この無力さの意味とは。無為無策に救いはあるのだろうか。

ヨーロッパ一九五一年 [DVD]

ヨーロッパ一九五一年 [DVD]

*1:フェリーニの奥さんなど、ほかの女優もおしなべて強力だったけど

*2:およびそのあとで、精神病院に入院というか勾留させたままにして別れようとする主人公の母が同じことを口にする。その白々しさ。

*3:この映画を、そのような理解で終えてしまうのも、まだ不足な気はしつつも。