ガラパゴス的な文化

http://fladdict.net/blog/2008/09/galapago.html
↑を読んで、ガラパゴスについてちょっと考えた。技術の話とはいっても、狭義の電子工学的なものではなくて、マンガやアニメなどのより「文化」的なものに関する問題。はてなではガラパゴス関連が盛り上がっているということだから既出かもしれないけど。
日本の漫画やアニメは、言語的な障壁によって独自発展したのだけれど、90年代ごろから、コピーによる海賊版やネットでの散布によって、商品価値が最近ガタ落ちしているらしい。村上隆はこの状況の到来と本格化の前に「日本」のサブカるのイメージを上手く利用したわけだけれども、今後、ジャパニメーション的なもののオリジナルな文化圏という以上の価値(オリジナルであること自体ももう大した価値じゃないだろう。せいぜいオリエントの局地のひとつに留まるか)を、日本は担うことができるのだろうか。コンテンツ立国とか文化立国というのであれば、ここを考えなければならない。
ココ↓
http://www.gamenews.ne.jp/archives/2008/09/4_59.html
で指摘されているように、日本の文化を代表するメディア関連の大企業の収益は下がる一方で、コンテンツ関連市場も今後縮小していくことは明らかだ。
東浩紀が「思想地図」では翻訳を載せない、何故なら翻訳して載せたい論文がないからだ、と言っていた。それは本当だろうか。では「思想地図」には海外に翻訳されるような論文があるのだろうか?「批評空間」の柄谷行人はイエール学派の一人的なポジションで翻訳が出ていた。東や伊藤剛の本が仏訳されたり英訳されるというのは、それとどのような対比をなすのだろうか。