『歪形するフレーム』読了
70年代以降の、低迷していた「カイエ・デュ・シネマ」をダネーとともに牽引した編集者であり映画評論家でもあるパスカル・ボニゼールによる映画評論集。『映像―運動』『映像―時間』刊行した頃のドゥルーズが、ボニゼールにこの本をまとめるよう勧めたとのこと。
邦題では『歪形するフレーム』だが、原題は『DECADRAGES』。カドラージュとは映画でフレームを作ること。カドールは絵画の額=フレームを意味する。そのまま訳したならば「脱フレーミング」というようなタイトルである。
バルトやドゥルーズ、ゴダールやロメールが寄稿し、映画評論と実制作と現代思想と政治とが絡まり合いながら展開した「カイエ・デュ・シネマ」を代表する編集者だったボニゼールは、本書刊行後に『美しき諍い女』のシナリオを手掛けるなど、やはり評論だけでなく実制作にも関わっている。実制作と評論とは、映画に限らず、必ずしも並走するべきものではないのだろうけれども、「現場」に即した言説も、言説が伴った「現場」も、それなりに「わかりやすく」はあるわけで、そういう近似性や相関性があまり尊重されていないように思われる昨今、ちょっと寂しくはある。映画で言えば黒沢清、アニメで言えば山本寛と押井守、マンガで言えば伊藤剛が居るのだからこれ以上贅沢を言う必要はないのかも知れないけれども。
ちなみに本書は、「フレーム」という問題系に関して、伊藤剛が主張する「(マンガにおける)フレームの不確定性」をマンガ論の限定から解放する議論のために参照した。なお伊藤剛と言えば、『マンガは変わる』『マンガを読む。』も読んでいる。主著と目されているであろう『テヅカ・イズ・デッド』が汎用を目的として抽象性が高められているのに対し、バラバラの論考やコラムに過ぎないものを集めただけの『マンガは〜』『マンガを〜』のほうが、具体的な作品や発想の道筋がはっきりしている分、かえって読みやすいと思われた。また、一見抽象性が高められたかのように演出されてはいるものの、実は竹内オサムの批判など、かなり具体的な言及も多く、世代論的なものに関心が薄い読者には読みづらいものになっている。私自身、竹内オサム批判自体には異論はないものの、従来の手塚観を覆そうという野心や個人的な政治的意図が滲み出てくるその執拗さに怖気に似た抵抗を感じたことは確かだ。逆に『マンガは〜』か『マンガを〜』のどちらかを先に読み出して、ある程度読んだところで、そのレジュメとして『テヅカ〜』を読めば、伊藤剛の理論的な視界が理解しやすくなるのではないだろうか。伊藤剛の指摘する「キャラ・キャラクター」概念はとにもかくにも非常に重要なものだと私も思っており、その割にはあまりにも伊藤剛が読まれていないことを考えるにつけ、『テヅカ〜』の読みづらさが残念でならない。『テヅカ〜』に抵抗を覚えるあまり読まずにいる諸氏には、是非『マンガは〜』や『マンガを〜』を手にとってみることをオススメする。
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