↑の文章を読み終えて

前半は見事としか言いようのない切れ味とスピード感だったけど、後半はずいぶんと乱暴すぎやしないかと思った。これも雑誌の中身を読めば変わるのだろうか。

私たちが自らの生成変化の歴史を捉えるための歌。それは現在、人間を生き延びる感情を生み出し、維持し、共有するための情報技術として志向されうる。この歌はソフトウェアであり、プラットフォームであり、メディアである。これは観念と覚念の狭間で探し出されるものではなく、作り出されるものだ。

私たちが上意下達の管理や資本市場の慣性といったマクロな人為に抗いながらいきるための歌は、アルゴリズムによって奏でられる。それは諸個人が自らの構成素のミクロな遷移に気づき、行動にフィードバックを起こし、身体と思考と感覚とがデータと乖離することなくひとつの作動システムを構成することを助ける譜面や楽器としてのアルゴリズムである。この情報系としての感念なくして、諸個人の政治は開始しないことも想起しよう。

「譜面や楽器としてのアルゴリズム」というのがいまいちよくわからない。これがわからないので、「マクロな人為に抗いながらいきるための歌」というものについてチェン氏がどう考えているのかが急にわからなくなってしまう。
私の場合、「身体と思考と感覚とがデータと乖離することなくひとつの作動システムを構成する」ことがずっとどうしても難しく思ってきた。そして「上意下達の管理や資本市場の慣性といったマクロな人為」というのは、私に及ぼしたように、(おそらくチェン氏のいう)アルゴリズムを生成しづらく、そして生成するはしから破壊しようとするものではないのだろうか。それに抗ってひとはいかにしてその「アルゴリズム」を形成しうるのだろうか。