追記
別に対して重要なことではないのだけれどとりあえずメモ。上記ドミニク・チェン氏の文章の前半には、東浩紀への目配せを読みとってしまった。これは私が東浩紀を意識しすぎているせいなのだろうか?冒頭の「2008年現在、日本語でテキストを書くということは」と書き出すのは「思想地図」への、そして「現前性」を相対化したうえでのメディア論的な話題の展開。もっとも、少なくともこの種のメディア論はデリダ以降の「現代思想」が当然経由するべき道筋として旧世紀以来連綿と続く伝統のスタイルではあるわけで、これらをもって「東浩紀」と言ってしまう私はやはりちょっとどうかしているのだろう。(とはいえ、日本語でこの種のメディア論を展開する人間として東浩紀が最大の影響力をいま持っているということは誤った認識ではないだろうし、その限りでドミニク・チェンが東浩紀を意識しているというくらいは言えるだろう)