昨日は星野太くん(最近彼の名前を見ると同時に「ほしのふうた」を思い出すようになった)が八丁堀のギャラリー(?)「Otto Mainzheim Gallery」で行ったトーク「DJのテクネー」を聞いてきました。

周りに飲食店が殆どないのはアレでしたが、ギャラリーの展示もギャラリーの雰囲気じたいもとてもよくて楽しかったです。DJがかける音源やDJの歴史ではなくて、もう少し抽象的に話されることって少ないと思うので貴重な体験でした。

トークの内容は僕が聞き取った限りでは以下の通り。過不足や誤解もあると思うのでその点は予め了承ください。つっこみは大歓迎です。そのあとで私見も展開してみたい。

まずはDJの機材環境の概説。ターンテーブルCDJとミキサーについてそれぞれの部位と機能の説明、あとそれぞれの配線とか。CDJを特別な機材として紹介していなかったり、DJのスタイルによってインプットの数が違ったり、サンプラーやマイクを使うケースのことを話していなかったのが印象的だった。要は内容を簡略にするためだったのだと思う。僕だったらそこはつい触れてしまって時間を食ってしまったろうな。

続いてDJのミックスの種類について概説。曲を突然終わらせて次の曲に移行する「カットアップ」と、曲と曲をフェードイン・フェードアウトさせながら交差させる「メドレー」とを対比したあとで、より暴力的なものとして「マッシュアップ」を取り上げていた。このあたりはかなり大雑把な整理で、トークのあとの質疑でもつっこまれていた。ただし、ローカルでハイプなジャーゴンが入り乱れて飛び交い、勝手な解釈でどんどん流布していくアングラカルチャーとポップカルチャーの用語だということを考えれば、いったんかなり乱暴に用語を整理して、議論を展開するなかで精緻化するしか方法はないと思うので、上記の分類のそれ自体での妥当さというのは重要じゃないと思う。

最後は「音楽を再生すること」というトーク自体のテーマについて。たぶん時間があまり残っていなかった関係、および話題がマニアックな方向に行きそうだという理由で、この部分はあまり掘り下げられていなかったという印象を受けた。興味深かったのは「戦場としてのミキサー」という表現と、「手」について言及していたところ。

以上がだいたいの要約で、以下に感想というか私見をまとめてみたい。
まず「戦場としてのミキサー」というところだけど、DJ論といえばともすると音源=レコードとそれの音を拾う場所、直接的に「演奏」されるものとしてのターンテーブルが重視されがちなのに対して、作曲者・トラックメイカーとしてのDJ、あるいはDJ的な音楽として認識されるクラブミュージックが生成されるところとしての「ミキサー」を中心的に取り上げたのは面白かった。そして複数の音源がマッシュアップにおいて「衝突」させられることの面白さに言及していたのも重要だと思う。

トークの後の質疑でも指摘されていたし、星野君じしんも認めていたように、その「衝突」じたいを楽しむというスタイルはDJにおいて最近登場したものではなく、DJの歴史上にいくつも顕著な例があったし、そもそもDJ以外にもスタジオワークやサンプリングミュージックではよくある話だった。それこそシュトックハウゼンとかは異なる楽曲の文脈の衝突を電子音楽の変調によって「解決」して文化の多様性を担保しうる音楽を作ろうとかしていたわけだし。だからここで重要になるのは「マッシュアップ」という言葉のニュアンスということになる。

マッシュアップ」という言葉のニュアンスには、異なる素材を「ちょっと混ぜちゃう」「気軽に作ってしまう」という含みがある。IT界隈で「マッシュアップ」といえば、既存の異なるwebサービスを組み合わせて新しいサービスを作り出すということである。元々は音楽業界のバズワードだったものをIT業界が盗用していることなのだけれど、ITにおける「マッシュアップ」を例にすると音楽の方のマッシュアップのニュアンスも説明しやすいと思う。

ITにおいても、既存のものを組み合わせて新しいサービスを作るというようなことは以前から行われていた。新しい状況というのは、たとえばオープンソースの考え方の定着・普及、あるいはユーザーの拡大によって、APIのような簡単に高度なサービスを流用しやすい環境が生まれてきたことだろう。

音楽においてはこれは、DJという音楽のスタイルの定着・普及、DJ的な行為をする人やリスナーの拡大、DJツールの廉価化といった環境の変化が「マッシュアップ」の背景にはある。これは星野くんも言っていた重要なことだと思うけれど、「マッシュアップ」という言葉の普及にはロック出身者が多い。ロックにはスタジオワークスの前景化や、高度な演奏技術や機材を必要としないローテク讃美の系譜(これってヨーロッパ後期印象派以降の「フォーヴ」志向が絶対に関わっていると思うんだけど)、あるいは「やったもん勝ち」「アイデア一発勝負」的なスタイルの伝統があって、その流れで「マッシュアップ」が評価されているというのはあるんじゃないだろうか。

ただ、もしそう言えるとしたら、「マッシュアップ」はDJだけのものではなく、簡単に既存曲を組み合わせることができるすべての演奏者・作曲者が扱いうるものということになるだろう。実際、ムネオハウスとかニコ動におけるIKUZOマッシュアップの流行とかは、必ずしもDJによる仕事ではない。「マッシュアップ」はDJだけのものではないけれど、ではDJの「マッシュアップ」においては何が問題になるんだろうか。

そこでクローズアップされるのが「手」ということになるだろう。レコードを選び、タンテを擦り、ミキサーのフェーダーを操る「手」。書道で言うならば「筆致」にあたるものが、DJの「手」から生み出される。エフェクターを使うならそのツマミを握る「手」、サンプラーを使うならそのパッドを押す「手」、L?K?Oみたいに足も使ってミキシングするならその足も機能的には「手」になるだろう。

だからこれからのDJ論というのは、音源や歴史について語るのも面白いけど、ミキサーについて語って他ジャンルとの地続き性との相性を語ったり、そのミキサーのうえでどのような「戦争」が演じられているかを語ったり、そこで戦っている「手」のスリルについて語るのが面白いんじゃないかと思うんだよね。

それでこそストリーミングDJとかラジオDJとかPCDJの可能性が言語化されるんだと思うし。

DJによるのではない「マッシュアップ」で、星野君に教えてもらったSONYのサービスはコレ。音楽の「マッシュアップ」を、ITの「マッシュアップ」で実現したもの。似たようなのでインターフェースがもっとオシャレなやつをなんかの雑誌で読んだんだけど、そっちは完全に失念してしまった。「Intercommunication」とかそういう雑誌だったんだけど。あれ、「SITE ZERO」だったっけなあ。
http://www.musicmashroom.com/

追記:「SITE ZERO」の最新号の「バベルのタワーレコード」だ。徳井直生氏による「Massh!」をめぐる文章だった。Massh!はこちら。
http://www.sonasphere.com/mash/
これ、tomad君もかつてブログで触れてて、よく知られてるみたい。
なんか以前に触ってみたときは使いにくかったんだよなー。