『大航海 特集:ファンタジーと現代』(2004年の第49号)
を読んでます。たまたま斎藤環と編集長でエロマンガDOA2007でたたかれてた三浦雅士とが対談してた。斎藤環がファウスト系をだいぶ持ち上げている。特に佐藤友哉。以下引用
これはちょっと荒いくくりかもしれませんが、現在のようなポストモダン的状況下にあっては、教養などはもはや軽蔑の対象でしかない。むしろ作家固有の「素材感」のようなものが重要になってくる。素材感というのは、デザイナーの柏木博さんが使っていた言葉です。たとえば町田康が受けているのはテクニックだといわれていますが、じつは彼の素材感も大きいのではないか。生っぽく思わせているだけかもしれないけれど、そこにこそ彼らしさがある。文体の巧みさというよりは、三行読めば彼とわかるような素材感ですよね。その素材感が佐藤友哉の場合も露骨に出ている感じがする。この人は私生活と作品との距離がすごく小さい人なんだという感触を与える。私小説っぽく書いているけどじつはフィクションで、フィクションぽく書いているほうがじつは自分の本当の世界に近いと言う意味の発言を彼もしています。
これってたぶん近刊予定の東浩紀の『動ポ2』のラノベ論とたぶんかぶる話で、それこそファウスト系の中心問題だと思うんだけど、最近のファウスト買ってないから、このあたりはぜんぜん未消化。でもこれってヴィジュアル系、アイドル歌謡に十分絡む話だよね。それこそ戦前の私小説の時代の話から。