現代の広告の役割について

ところであまりに愚直なんだけれども、その「図」に関するある意味での最先端である広告の地平について、仕事のこともあるのでちゃんと考えてみようと思う。なお、http://homunculus.exblog.jp/8577645/を読んで刺激を受けたということもある。

小規模かつ短期的に考えるなら、広告というのは商品の良さを消費者にアピールして購入を促進するもの。しかしメディアと交通機関の高速化と多様化により、消費者が一定期間に触れることができる情報量が相対的に低下するようになった。このことによって、ベタに「商品の良さ」をアピールすることよりも全体として広告が消費者を取り巻いている状況において、つまり「環境化した広告」という状況において、この状況を活用する戦略が機能する。
この段階においては、広告の規模は大きく、また戦略は長期的なものになり、当然ながら広告費も高騰する。この広告費の高騰は当時のバブル的な金融状況と相俟ってリスキーな先物取引的様相を呈しているのだがそれは今回は割愛する。
さて80年代、「環境化した広告」状況における戦略でアピールされるのは「商品の良さ」ではなくて、特定の商品あるいは特定の商品グループの「印象」である。それらの印象が環境に浸透することにより、「それを買うのが当然である」という状況が作り出される。
ここで「何を当然とするか」という点で生活集団が多層化する。80年代的・糸井重里的な「抽象的な生活の方向づけ」を行う広告戦略は、この多層化した複数の生活集団に横断的に作用しえたという意味で有効な戦略だったのだろう。
生活集団の多層化はかつて「分衆」と表現されたものに近い。分衆化した諸々の消費者グループに横断的に働きかける糸井重里的な戦略はたしかに有効ではあった。しかし、ここで近代的な芸術家観(創作物に作家性を刻印し、「作家」をアイドル化する)が付与されるという事態が生じた。
おそらく「メディアの寵児」が求められたのだろう。ここにきて分衆を横断していたはずの「抽象的な方向づけ」に、たとえば糸井重里のような具体的な「顔」ないしはその思想が、いわば重力を持った身体のように付随することになる。これはおそらく、広告代理店の営業の便宜のためという側面と、そのようなアイドルを作ることでメディアの流通過程が潤うという側面とが合ったのだろう。これは現状もおそらく変わっていない。
90年代的、00年代的な広告は、分衆を横断してアピールする抽象的なイメージと、それに付随する「作家的な顔と思想」とに二層化した広告戦略の展開のうちに読むことができるのではないか。
特筆すべきは佐藤雅彦に代表される、具体性のないイメージ(生活臭がほとんど完全に脱臭されたイメージ)を追及するベクトルだろう。これは糸井重里的な広告が志向した「良い生活」へのベクトルを相対化する。「良い生活」を志向するのは当たり前だが、具体性を少しでも残したままではそれをイメージすることができない。
「生活」が完全に抽象化された環境では、もはや消費者は「何のためにその商品を買うのか」を認識することができない。イメージだけを維持する環境下で、ただコミュニケーションをしているという状況。このために、彼らはデオドラントであることと同時に、ネタ的な「面白さ」「おかしさ」も求めていた。
90年代的・佐藤雅彦の時代においては、デオドラントであることが作家性を担保していたが、00年代においてはもはやそれも当然のこととなっている。00年代においては、「おもしろおかしい」こと自体が陳腐化しているのだと言えよう。そこにはもはや「イメージを読解しない」という無関心さが、ある種のタフネスを意味するために志向されているのではないか。もちろんその代表格は佐藤カシワである。
単線的に言えば、現代にいたるまでの広告の思想はこのように変化してきているのではなはいか。「広告批評」の終焉の意味は、つまりこの状況の一般化を表しているのだろう。