『パッション』読了

言うべきこと、書くべきこと、なすべきことは、それが言われたり書かれたりなされたりすることが当然であるとか強制されてやるとか、そうではないような機会にこそ「行われるべき」なのだ(ろうか)という議論。もっとも、そのように要約することは拒まれているので、こう書くとデリダに対して不誠実になるのだけれども。

いま仮にシミュラークル(模擬、擬態)の可能性、および外部的反復の可能性を廃棄してみるとしよう。すると、法そのもの、義務そのものの可能性が失われることになる。つまり、それらの再帰(recurrence)の可能性が廃棄されることになるだろう。義務の純粋性には、すなわちその反復性には、原理的に非純粋性が内属しているのである。そこにこそ、あらゆる可能な対比を嘲弄しつつ、秘密(le secret)があるだろう。パッションの秘密、秘密へのパッション。

もし私が、自分は私について書くのではない、そうではなく「私」について書くのだ、あるなんらかの私について書くのだ、あるいは私一般について、一つの範例を提出しながら書くのだ―私は一つの範例にほかならない、もしくは私は範例的なのだ、と言うとすれば(あるいは言外に主張するとすれば)、そのとき、だれも真剣なやり方で私に反駁することはできないだろう。

パッション (ポイエーシス叢書)

パッション (ポイエーシス叢書)