精神分析とアート

サイバースペース〜」でも書かれていたのだけれど、ベンヤミンの「複製技術時代における芸術作品」という論考において「視覚的無意識」という概念が、ラカン鏡像段階論やコンピュータの基礎理論となるチューリングの論考と同時に登場したことは興味深い。もちろんこれらは単なる偶然なんだろうけれども、これらの偶然を用意した必然や事実も認めるべきだろう*1。特にベンヤミンラカンとは大陸系の哲学的背景を共有している。あるいは、大陸系というよりもむしろパリに滞在することが多かったベンヤミンラカンが「パリの」哲学的背景を共有していたというべきだろうか*2

*1:こういった偶然の一致を強調し過ぎるあまり、「サイバースペース〜」自体がちょっと不必要に胡散臭げな運命論的な雰囲気を帯びてしまっていることは書き留めておいてもいいだろう。売文の書き方としてはちょっとカッコいい書き方ではあるけれども。

*2:ウィキペディアによれば、ベンヤミンの「パサージュ論」を預かったときの図書館の司書はバタイユだったらしい。バタイユラカンとは周知の通り親しい友人であった