『アンチ・オイディプス』読み始めて6日と一日目。
ほぼ一週間さぼってしまった。
今日からは第二章 精神分析と家族主義 すなわち神聖家族
第一節 オイディプス帝国主義

欲望的生産とは、欲望の諸機械のことであるが、これらの諸機械は、構造にも人物にも還元されえないものであり、象徴界想像界も超えて、あるいはそれらの下に、<現実的なもの>そのものを構成するのである。

無意識そのものは、構造的でも人称的でもなく、想像することも形象化することもしないし、象徴することもしない

無意識は機械として作用し、機械的なものである。

オイディプス帝国主義は、単に生物学的リアリズムの放棄を要求していただけなのか。それとも、もっと無限に強力な、別の何かが、オイディプスの犠牲になったのではないか。

こうして、あたかも欲望のあらゆる生産力は、オイディプスから発するかのように見える。精神分析家はオイディプスの外套の裾持ちをする小姓となって、欲望における反生産の大いなる手先となったのだ。これは<資本>の物語と同じ物語である。あの魔法をかけられ奇蹟を授けられた資本主義世界の物語と(マルクスはこう語っていた。始めは、最初の資本家たちも意識せずにはいられなかった……、と)。