ガタリ

『アンチ・オイディプス』二十五日目

第三章 未開人、野蛮人、文明人 第十一節 最後はオイディプス 家族が社会野の外におかれるということは、家族にとって最大の社会的機会でもある。なぜなら、それは、社会野の全体が家族に適合することが可能になる条件だからであるからである。個々の人物は…

『精神と記号』より

映画に固有の有効性は、その前シニフィアン的な象徴的諸要素やその非シニフィアン的な諸要素―視覚的形姿、色彩、音響、リズム、顔貌の描線、言葉等といったものの連鎖や動き―に依存しつづける。幾百年、幾千年も前から、表現手段としてほとんど変化のない言…

『アンチ・オイディプス』二十四日目

第三章 未開人、野蛮人、文明人 第十節 資本主義の表象 夢において、リオタールは、きわめて美しい文章で、そこで働いているものがシニフィアンではなく、むしろその下にある形象的なものであり、それがイメージの配置を生起させることを指摘している。この…

『アンチ・オイディプス』二十三日目

第三章 未開人、野蛮人、文明人 第九節 文明資本主義機械 精神分析は、みずからは認めることを拒みながら、じっさいには経済的-金銭的依存関係のシステム全体を自分の扱うそれぞれの患者の欲望の核心に登録し、剰余価値を吸収する巨大企業をみずから組織して…

『アンチ・オイディプス』二十二日目

第三章 未開人、野蛮人、文明人 第八節 原国家 ところが、何という忘却がこの起源にふりかかることか。つまり潜在状態が国家そのものを襲い、ときにはそこでエクリチュールは消えてしまう。まず私有財産の、ついで商品生産の攻撃をうけて、国家は衰弱に陥る…

『アンチ・オイディプス』二十一日目

第三章 未開人、野蛮人、文明人 第七節 野蛮な表象、あるいは帝国の表象 (二十日目 「第六節 野蛮な専制君主機械」は引用したいところも、特に思ったこともなかった。) とりわけ、表象の表層的組織において変化するのは、声と書体との関係である。ずっと昔…

『アンチ・オイディプス』十九日目

第三章 未開人、野蛮人、文明人 第五節 大地的表象 表象が常に、欲望的生産の抑制‐抑圧であるとしても、しかしその仕方は、それぞれの社会組織体によってきわめて異なる。表象のシステムは、その深層に抑圧される表象者、抑圧する表象、置き換えられた表象内…

『アンチ・オイディプス』十八日目

第三章 未開人、野蛮人、文明人 第四節 精神分析と人類学 占者と医者とは、たえず政治的経済的なもろもろの単位と関係づけて、欲望を解明しようとする。―ところが証人たちのほうは、まさにこの点において占者と医者を欺こうとするのである。 じじつここでは…

『アンチ・オイディプス』17日目 第三章 未開人、野蛮人、文明人 第二節 原始大地機械 領土性の観念が曖昧なのは、見かけのことでしかない。というのも、これを住居の原理または地理的分割の原理として理解するとすれば、原始社会的機械が領土的なものではな…

今回は重要なキーワードがたくさんでてきた気がする。かつ、上巻のここまで書かれてきたことを総括し、後半に続ける機能もあると思われる。読み返すときはここを起点にしてもいいかも知れない。

『アンチ・オイディプス』16日目 第三章 未開人、野蛮人、文明人 第一節 登記する社会体 欲望と生産の未開の原始的統一体とは、大地である。なぜなら大地はただ分割される多様な労働対象ではなく、また不可分な唯一の総体でもあり、自然的あるいは神的な前提…

普遍の構築―カント、サド、そしてラカン作者: モニクダヴィド=メナール,Monique David‐M´enard,川崎惣一出版社/メーカー: せりか書房発売日: 2001/11メディア: 単行本この商品を含むブログ (2件) を見るが届いた。まだ読んでないけど、意外に薄いのではやく…

この「第九節 プロセス」でもって「第二章」は終る。この第九節ではもっぱら「分裂症」について語られており、節の題にされている「プロセス」については詳説されていなかったように思われた。 http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20080415#c1210868403 で、i…

『アンチ・オイディプス』15日目

第二章 精神分析と家族主義 すなわち神聖家族 第九節 プロセス 彼はただ、狂人になることを恐れるのをやめたのである。彼はもはや彼を冒すことのない崇高な病としてみずからを生きる。 文学が既成の秩序に合致し、誰にとっても無害な消費対象に還元されてし…

『アンチ・オイディプス』14日目 第二章 精神分析と家族主義 すなわち神聖家族 第八節 神経症と精神病 私たちが言いたいのは、神経症であれ、精神病であれ、障碍の原因は、常に欲望的生産の中にあり、欲望的生産と社会的生産の中にあり、この二つの生産の体…

『アンチ・オイディプス』13日目続き 第二章 精神分析と家族主義 すなわち神聖家族 第七節 抑制と抑圧 欲望に近親相姦という歪んだ鏡を向けることによって(ほら、これがお前の欲していたものだろう)、ひとは欲望を恥じいらせ仰天させて、出口のない状況に…

『アンチ・オイディプス』13日目 第二章 精神分析と家族主義 すなわち神聖家族 第七節 抑制と抑圧 オイディプス的欲望は少しも抑圧されていないし、また抑圧される必要もない。それなのに、別の側面では、この欲望は抑圧と密接な関係をもっている。オイディ…

『アンチ・オイディプス』12日目 第二章 精神分析と家族主義 すなわち神聖家族 第六節 三つの総合の要約 問題はオイディプスが偽りの信仰であるということではなく、信仰が必然的に偽りのものであり、現実の生産を曲解し窒息させるということである。だか…

『アンチ・オイディプス』11日目 再開します。 第二章 精神分析と家族主義 すなわち神聖家族 第五節 消費の連接的総合 同一化が、命名であり指名であるとすれば、擬装はこの命名に対応するエクリチュールであり、現実的なものにじかに触れる奇妙にも多義的な…

『アンチ・オイディプス』10日目 第二章 精神分析と家族主義、すなわち神聖家族 第四節 登録の離接的総合 家族的三角形化は、ひとりの「私」が同時に親子の世代と性別と生死の状態について、自分を区別する座標を受けいれるための最低限の条件をあらわして…

『アンチ・オイディプス』9日目 第二章 精神分析と家族主義 すなわち神聖家族 第三節 生産の接続的総合 第一の使用において欲望は、固定した一主体を、どちらかの性に特殊化された<私>を、そして包括的人物として規定された完全主体を同時に受けいれる。 …

『アンチ・オイディプス』8日目 第二章 精神分析と家族主義、すなわち神聖家族 第二節 フロイトの三つのテクスト オイディプス化と同じように、「去勢」についても語らなければならない。去勢は、オイディプス化を仕上げるのである。去勢とは、精神分析が無…

キーワード オイディプス帝国主義、構造論的解釈かな。 いずれも精神分析批判だと思われる。いままで読んできたところで私が思うには、『アンチ・オイディプス』の長所は表面的にもそれとわかる精神分析批判ではなく、資本主義と分裂症の関連について「欲望…

『アンチ・オイディプス』読み始めて6日と一日目。 ほぼ一週間さぼってしまった。 今日からは第二章 精神分析と家族主義 すなわち神聖家族 第一節 オイディプス帝国主義 欲望的生産とは、欲望の諸機械のことであるが、これらの諸機械は、構造にも人物にも還…

合理性もしくは「わかりやすさ」

『アンチ・オイディプス』を読んでいて思ったこと。「オイディプス」あるいは「三項図式」というのは、僕にとっては、ずっと拘泥してきた「わかりやすさ」「(経済的)合理性」にあたるものなのではないだろうか。そしてもしかすると、「器官なき身体」とは…

『アンチ・オイディプス』6日目 第一章 欲望機械 第六節 全体と諸部分 ここで問題になっているのは、オイディプスとの関係において前オイディプス的(「前オイディプス的」に傍点)といわれるものが相対的にどれだけの重要性をもつかといったことではまった…

資本主義と分裂症 『アンチ・オイディプス』の副題として「資本主義と分裂症」とされているけれど、この副題の方により強く関連しているのが上記の「ヌーメン」と「ヴォルプタス」と呼ばれている概念なのだと思う。日本語の熟語に翻訳されていないことからし…

キーワード 欲望機械の第二の様式、および第三の様式に関して、<ヌーメン>と<ヴォルプタス>という概念が繰り返されているので、第四節までで<ヌーメン>と<ヴォルプタス>について述べられている部分を引用する。■ヌーメンに関して 「第二節 器官なき…

『アンチ・オイディプス』読みだして5日目 第一章 欲望機械 第五節 欲望機械 欲望機械は隠喩ではない。それは、三つの様式にしたがって、切断し切断される。第一の様式は接続的総合にかかわり、リビドーを採取のエネルギーとして動員する。第二の様式は、離…

あとがきから 今回は引用が少なかったので、宇野邦一による「訳者あとがき」から、興味深い部分を引用する。 シニカルな資本主義は、次々シニカルな思想を生み出すので、「器官なき身体」を「身体なき器官」によって脱構築しようとするような試みも生まれて…