『アンチ・オイディプス』9日目
第二章 精神分析と家族主義 すなわち神聖家族
第三節 生産の接続的総合

第一の使用において欲望は、固定した一主体を、どちらかの性に特殊化された<私>を、そして包括的人物として規定された完全主体を同時に受けいれる。

まず登録の総合こそが、オイディプスを形成する諸条件にしたがって、登記の表面上に自我というものを措定する。この自我は、座標軸となる両親のイメージ(父、母)との関係において規定可能で区別可能なものとなる。

ひとは、奇妙な推理によって、それは禁止されているがゆえに、まさにそれは欲望されている、と結論するのである。ほんとうは、包括的な形態をもつ人物たちも、こうした人物の形態そのものも、彼らに重くのしかかり彼らを構成する禁止以前には存在しないし、彼らが収まる三角形化の働き以前には存在しないのだ。

全体としては、欲望的生産に固有な器官-機械のもろもろの接続は、家族的再生産の規則にしたがう人物たちの結合に席を譲ることになる。部分対象は、もはや、次々と部分対象の間を移動する非人称的な流れから採取されるのではなくて、いまや人物たちから採取されるように見える。

おそらく欲望的生産のもろもろの接続は、二項的規則にしたがっていた。そして、私たちは、まさにこの二項関係に、第三項が介入することを見た。それこそが器官なき身体であり、生産物の中に再び生産の働きを注入して諸機械のもろもろの接続をさらに延長し、登録の表面という役割を果たすのである。

三角形化の働きは、欲望の諸対象を包括的な性格をもつ人物たちに、また欲望を特殊な一主体に結び付けるのだ。唯一の主体は、器官なき身体の上の欲望そのものである。この欲望こそが、流れと部分対象が、それぞれにたがいを採取し切断しながら、ひとつの身体から他の身体へと移動してゆく。このような接続そして取得の方式は、占有者あるいは所有者たる<自我>の人為的統一を、そのつど破壊するのである(非オイディプス的性愛)。

オイディプスの三角形は、両親的使用において形成され、婚姻的使用において再生産される。この三角形の形成は欲望の登録に干渉して、欲望のあらゆる生産的接続を変容するものである