デリダ

東浩紀

『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』再読中 今日は2-6を読んだ。いよいよ『存在論的、郵便的』と『動物化するポストモダン』との接合点としての「サイバースペース」論が展開されていく。 要約するとれば ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』を頼…

洋書で

こんなのも出るらしい。ラカンにおけるデリダからの影響を論じたものの模様。 http://www.fordhampress.com/detail.html?session=b40b00fefe981aa56d5f818036a4ce3e&cat=&id=9780823228751

『精神分析の抵抗』より

そしてだからこそ、1971年の『ポジシオン』の中で、つまり「真実の配達人」を発表するよりも4年も前に、私はこのことを述べておいたのだし、先ほどマジョールもこのことを想起させてくれたが、ラカンに対する私の理論的「対決=闡明」は、「みずからの仕事を…

『存在論的、郵便的』を数年ぶりに再読した

やー、なんか感動した。東浩紀って超すげえ。近々もう一回読み直してレジュメを作ります。 『葉書』は原書も買わないとな。存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて [ 東浩紀 ]ジャンル: 本・雑誌・コミック > 人文・地歴・哲学・社会 > 哲学・思想 > 西…

『パッション』読了

言うべきこと、書くべきこと、なすべきことは、それが言われたり書かれたりなされたりすることが当然であるとか強制されてやるとか、そうではないような機会にこそ「行われるべき」なのだ(ろうか)という議論。もっとも、そのように要約することは拒まれて…

『アンチ・オイディプス』二十一日目

第三章 未開人、野蛮人、文明人 第七節 野蛮な表象、あるいは帝国の表象 (二十日目 「第六節 野蛮な専制君主機械」は引用したいところも、特に思ったこともなかった。) とりわけ、表象の表層的組織において変化するのは、声と書体との関係である。ずっと昔…