『歪形されたフレーム』、絵画と映画について

主に今回はショットと運動について。

たとえばゴダールの『パッション』では、ロマン派やバロックの巨大なタブローが、部分的に活人画の形態で再構築され、カメラや(その強制された不動性に対して震えたり、反抗したりすることで動かずにはいられない)モデル自身の狂暴な運動によって、再構築されたタブローは壊乱され横断され解体されてしまう。それは、あたかもフィルムの中に、映画と絵画の間に激しい対立でもあるかのような光景である。ショットの運動とタブローの不動性の間に刻まれた差異、その差異によって強調された分離は対話体と呼ばれるものである。つまりショット=タブローの機能とは対話なのである。対話体であるかぎり、それは両義的であり、二声のディスクールであり(後略)