チンポムの件、追記

グラフィティとの関連について論じられている方がいらっしゃいました。
http://d.hatena.ne.jp/note304/20081101/1225557131
実は以前に別の方(id:c_a_nagaoka氏)とチンポムについて意見交換した際に、グラフィティ・アートについても話題に上りました。私はグラフィティはアートのいち形態、それもかなりラディカルなものだと認識しております。また、そのラディカルさ・周辺性・公共性において、またもっぱら文字を使用するという意味でも、チンポムの「ピカッ」とグラフィティとはかなり近似した関係性にあると思います。壁と空とはかなり共通した性質が認められると思います。そういう意味で、(やや飛躍するように思われるかも知れませんが)最近も話題になった「文化遺産に対する落書き」に今回のチンポムの行為は似ているのかも知れません。その見かけ上の(その真意はたぶん誰にもわかりません)「無邪気さ」も。
しかし、(広島の原爆のような問題に関して、アートフォームの議論に終始するような軽薄な態度で臨むということが私の「倫理」に反するからでもありますが)その表現ないしは行為の類似性よりも、私個人としてはその「倫理」(あくまで「」で括らなければならないと思うのですが)に関連する部分を強調したいと思っております。そうすると、チンポムの行為は、壁に対する空、および写真やニュースによってグラフィティよりも強力な拡散性を持ったものであり、グラフィティや落書きとは違った次元に問題が波及するという性格を持っているということになると思います。
またその周辺性においても、チンポムはとりあえずは日本現代美術の中核近くに位置し、他の在りようは(どれだけ多くの美術関係者に嫌悪され無視されたとしても)考えられないのに対して、グラフィティについてはまずは誰でもできるより原初的で制度的でない行為であり、ついでヒップホップやストリートカルチャーの一部として別の豊かな文脈性を持っているという違いがあります。
もっとも両者の違いについてはnote304氏もまた違った観点で述べていらっしゃいますね*1。チンポムは最近、恵比寿にナディッフ・アパートというギャラリー群がオープンした際に、スプレー缶を使って壁に落書きをし、さらには地下の会場を半分水没させゴミをばら撒き、メンバーが放尿し、小便小僧の像からも展示中ずっと「小便」が流れ出るというショッキングなインスタレーションで、オープン当時の展覧会を行いました。このときはかなりグラフィティと近い位置にチンポムは居たと考えることができるのではないかと思います。
実はこのエントリ、私が単に夜に目が覚めてしまったので書いているだけなので全然まとめられないのですが、おっしゃるとおりグラフィティとの連関は今回の件について言及しておくべきだったと思いました。ご指摘ありがとうございます。ただ、「今、ここ」とか「ぼくら」という表現については、その危うさについて、まさにチンポムの作品から読み取られるべきものだと私は考えております。たとえば以前にも書いたとおり、チンポムは地域性の差異によって広島の市民から排斥され、またかつての「エリゲロ」という作品においてはチンポムの「ぼくら」的な共同体のなかでピンクの液体を飲み・吐くという行為がモチーフになりました。もっとも常に両義的なチンポムのことなので、その危うさとは戯れて楽しむべきなのかも知れないのですが、私はその態度にもちょっと懐疑的でありたいと思っております。これは私の個人的な問題意識にすぎないのですが。

*1:ところで瑣末なことなのですが「グラウンド・ゼロground zero」を「グランド・ゼロ」と書かれているのには何か意図があるのでしょうか。もしあったらお伺いしたいです。「ゼロ地点」ではなく、「大いなるゼロ」というのは興味深いです。揚げ足取りのつもりはありませんが、、、。