『アンチ・オイディプス』14日目
第二章 精神分析と家族主義 すなわち神聖家族
第八節 神経症と精神病

私たちが言いたいのは、神経症であれ、精神病であれ、障碍の原因は、常に欲望的生産の中にあり、欲望的生産と社会的生産の中にあり、この二つの生産の体制の差異あるいは葛藤、欲望的生産が社会的生産に対して行う備給の様式の中にあるということである。この関係、この葛藤、これらの様相の中に入るものとしての欲望的生産、まさにこれが現働的因子である。だから、この因子は排他的ではなく、事後的でもない。この因子は、欲望の充実した生を構成するものとして、もっともやさしい子供時代と同時代に属し、一歩歩むごとに、それをともなっている。この因子は、オイディプスの後に出てくるのではない。どんな点でも、オイディプス的組織を前提しないし、前オイディプス的前組織も前提としない。逆に、オイディプスの方が、任意の価値をもつ刺戟として、欲望的生産の非オイディプス的組織を幼年期から作動させる単なる誘導子として、また社会的再生産が家族を通して欲望的生産に強いる抑制−抑圧の効果として、現働的因子に依存している。だから現動的actuelと名づけるのは、より最近のことを示すからではなく、古いものや幼児的なものに対立するからでもなく、「潜在的」virtuelなものとは異なるものを示すからである。そして潜在的なものとは、オイディプス・コンプレックスなのである。それは現動的因子から派生した効果として、神経症的形成において現働化されなければならないものであり、またこの同じ因子の直接的効果として、精神病的形成において解体され解消されなければならないものである。

決定不可能なもの、潜在的なもの、反作用的あるいは反動的なもの、それこそがオイディプスである。