荻上チキ×宇野常寛対談@2008年2月

http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20080224/p2

「越境とは幻想だ。タコツボは内破するしかない」というお決まりの、加藤典洋みたいな反論ですね。それはそれで正しいのかもしれないけど、僕が言いたいのは「タコツボは内破するしかない」と答えるヤツは、その言葉を使って思考停止している。僕は当時の吉本派を相応に評価しているけど、それでもこういった思考停止があった側面ははずせない。それは明らかに結論ありきの過剰な先制防御ですよ。もっとも思考停止が起こりやすい態度なんですね。だから皮肉な話だけど、少し前の鎌田哲哉周辺みたいに、誰も読まなかったとしても、セクト化しても、100点取れるものを自分が信じていて知的に真摯に向き合えばいいんだという態度も信用できない。

僕がこんなことを言っていると、僕への批判があたっていたら数十年後に恥をかくのは僕ですよ。それは分かっています。それでも「崇高な祈り」的に自己肯定することは批判します。そういうことを言う人こそ、実はその言葉を信じていないと思いますからね。ここではっきりいいますけど、こういう「祈り」「内破」という一見ロマンチックなイイワケをする人間は、間違いなくつまんないやつだと思う。それって、ブログのプロフィール欄がやたら長くて、更新するたびに「自分はこういう態度で世界を観察している」みたいな立ち位置の話ばかりが書かれていて、具体的な分析も主張も何も無いブログって、はてなを中心に死ぬほどあるわけじゃないですか。そういったものは全部クズですけど、それと変わらない。柄谷さんとかNAM周辺のだめな人が、ネット初期のダメな人に重なるのは、そういう部分ですよね。

もし「世紀の大傑作」というのなら、その欲望を共有していない人間にも面白く読めるような読み方を教えてくれと。もしそれで面白さが分かればそれでハッピーだし、それが批評の役割でもあるわけでしょう。

宇野さんというかたが、こんなにちゃんとしたことが言える人だとは思っていなかったので驚きました。この対談を文字化された荻上氏にお礼を言いたい。ただお2人の文化的な倫理観(批評家的なスタンスとか?)やセンスがよくわからないので、私もまた古い人間なのかも知れないとか思った。古くてもいいんだけど、とか、お2人のセンスも結局古いんじゃないのか、と思ってしまうところも含めて。