身体とイメージ
上記引用のなかで、「固有の身体そのものとは、身体のイメージとは無関係である」というくだりがやや不可解だと思った。また、「生産」についての話は私にはわかりやすい気がするのだが、そこでなぜ「器官なき身体」の話が挿入されてくるのかも不可解である。ようするに私には「器官なき身体」の意味がわかっていないのかも知れない。
生産に対する「反生産」とか、「死の本能」を、「生産的総合」において位置づけるために、詩的な表現としての「器官なき身体」を呼び起こしているのだろうか。ともあれ、第二節はズバリ「器官なき身体」と題されているから、ここを読むとなにか糸口が掴めるのかもしれない。期待しておこう。

アンチ・オイディプス(上)資本主義と分裂症 (河出文庫)

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