消費

『アンチ・オイディプス』15日目

第二章 精神分析と家族主義 すなわち神聖家族 第九節 プロセス 彼はただ、狂人になることを恐れるのをやめたのである。彼はもはや彼を冒すことのない崇高な病としてみずからを生きる。 文学が既成の秩序に合致し、誰にとっても無害な消費対象に還元されてし…

『アンチ・オイディプス』11日目 再開します。 第二章 精神分析と家族主義 すなわち神聖家族 第五節 消費の連接的総合 同一化が、命名であり指名であるとすれば、擬装はこの命名に対応するエクリチュールであり、現実的なものにじかに触れる奇妙にも多義的な…

資本主義と分裂症 『アンチ・オイディプス』の副題として「資本主義と分裂症」とされているけれど、この副題の方により強く関連しているのが上記の「ヌーメン」と「ヴォルプタス」と呼ばれている概念なのだと思う。日本語の熟語に翻訳されていないことからし…

キーワード 欲望機械の第二の様式、および第三の様式に関して、<ヌーメン>と<ヴォルプタス>という概念が繰り返されているので、第四節までで<ヌーメン>と<ヴォルプタス>について述べられている部分を引用する。■ヌーメンに関して 「第二節 器官なき…

『アンチ・オイディプス』読みだして5日目 第一章 欲望機械 第五節 欲望機械 欲望機械は隠喩ではない。それは、三つの様式にしたがって、切断し切断される。第一の様式は接続的総合にかかわり、リビドーを採取のエネルギーとして動員する。第二の様式は、離…

あとがきから 今回は引用が少なかったので、宇野邦一による「訳者あとがき」から、興味深い部分を引用する。 シニカルな資本主義は、次々シニカルな思想を生み出すので、「器官なき身体」を「身体なき器官」によって脱構築しようとするような試みも生まれて…

キーワード 今回のキーワードは「分裂症」だろう。以下に引用するような箇所もあった。 自閉状態において人工化され人称化された分裂症者の病状である前に、分裂症は、欲望の生産と欲望機械のプロセスなのだ。なぜ、ひとはこのプロセスから病状の方に移って…

流れの脱コード化と社会体の脱領土化は、こうして資本主義の最も本質的な傾向をなすことになる。資本主義はこの自分の極限にたえず接近するのであり、これはまさに分裂症的なものである。資本主義は、器官なき身体の上で、脱コード化した流れの主体として、…

『アンチ・オイディプス』読みだして四日目 第一章 欲望機械 第四節 唯物論的精神医学 精神分析の偉大な発見は、欲望的生産の、無意識のもろもろの生産の発見なのだ。しかし、オイディプスの出現とともに、この発見はたちまち新たな観念論によって蔽い隠され…

今日のキーワード 主体、私、享受、プロセス、独身機械、強度〔内包〕量 といったところかな。なお、第一節の上記に引用したプロセスのくだりの原注でバタイユに触れられてたのでそれも以下に引用。 ジョルジュ・バタイユが、自然のエネルギーとのかかわりに…

第一章 欲望機械 第三節 主体と享受 「プロセス」ということばの意味にしたがうなら、生産の上に登録が折り重なるといっても、この登録の生産そのものは、生産の生産によって生みだされてくる。同様に、この登録に消費が続くのであるが、消費の生産は登録の…

ドゥルーズ×ガタリ『アンチ・オイディプス』を読み始めました。 第一章 欲望機械 第一節 欲望的生産 いたるところに機械があるのだ。決して隠喩的な意味でいうのではない。 乳房はミルクを生産する機械であり、口はこの機械に連結される機械である。拒食症の…

今日のキーワード 「器官なき身体」「機械」「死の本能」「欲望」「生産」といったところか。神の裁きと訣別するため (河出文庫 (ア5-1))作者: アントナン・アルトー,宇野邦一,鈴木創士出版社/メーカー: 河出書房新社発売日: 2006/07/05メディア: 文庫購入: …

身体とイメージ 上記引用のなかで、「固有の身体そのものとは、身体のイメージとは無関係である」というくだりがやや不可解だと思った。また、「生産」についての話は私にはわかりやすい気がするのだが、そこでなぜ「器官なき身体」の話が挿入されてくるのか…