資本主義と分裂症
『アンチ・オイディプス』の副題として「資本主義と分裂症」とされているけれど、この副題の方により強く関連しているのが上記の「ヌーメン」と「ヴォルプタス」と呼ばれている概念なのだと思う。日本語の熟語に翻訳されていないことからして、これらの概念を、読者たる者は耳慣れないまま引き受けさせられるべきだと考えるしかないだろう。
どうやらヌーメンは「離脱」や「登録(とりわけ生産の登録、と登録の生産*1)」*2に関連して、ヴォルプタスは「主体」「残滓」そして「消費(これも生産の消費、消費の生産」に関連して理解しうる概念のようだ。
そしてヌーメンは「離脱のエネルギー」として離接的総合にかかわり、ヴォルプタスは「残滓エネルギー」として連接的総合にかかわる。本書本文にあるように、欲望的生産は「採取すること 接続的総合(第一の様式)」「離脱すること 離接的総合(第二の様式)」「「残滓になること」 連接的総合(第三の様式)」にしたがって「切断し切断される」。

子供のげっぷでミルクが戻ってくる例を考えてみよう。このミルクは、連合的な流れから採取したものの復元であるとともに、シニフィアンの連鎖からの離脱の再生産であり、同時に又主体自身の取り分として主体に帰属する残滓でもある。

個人的には、ヌーメンに関する理解がまだ十分でないように思われる。登録と登記にあたる概念がよくわかっていないのかも知れない。記号論ラカンが引き合いに出されたり、マルクスが話題になったりしているため、決して親しみがないわけでもなさそうなのだけれど。そして、精神分析記号論貨幣論という三つのレベルをつなぎ、本書にとっても相当に重要な問題系を作っていると思う。

*1:登録と登記の使い分けについては近日中に理解しなければならなさそうだ

*2:つまり「コード」に関連している