フェティシズムについて

1998年の『月光』第八号(特集「フェティシズム」)の巻頭に収録されている秋田昌美の「『暗黒大陸アフリカ』とフェティシズム」と題された文章に興味深い箇所がある。

フェティシズム」という概念は一体何時何処で誕生したのだろう。アンソニー・シェルトンは『フェティシズム』という本の中に「変幻する肉体」と題した論文を書いているが、その冒頭にこう述べている。

アフリカの『フェティシズム』についての西洋のイメージは中世のキリスト教と魔術、そして、14世紀から16世紀にかけて、ポルトガル、オランダ、フランスの探検家や商人がアフリカのギニア湾で遭遇した現地信仰との間の複合物である。もともと著述家は形態に関係する『偶像』という言葉と護符や御守りを意味する『フェティッシュ』との識別ができず、18世紀に『フェティシズム』という言葉に包括されるまで、両者の意味は混乱していた。そして、アフリカ宗教は西洋の魔術という考え方に決定的に関係づけられた。旅行談にもとづく様々な言説は一貫性を与えたが、啓蒙主義者や社会学者たちにアフリカのフェティシズムとは宗教現象の最も原始的形態だという抽象的な『フェティシズム』観を植えつける事になった。

周知のように「フェティッシュ」という言葉には大別して、宗教学、経済学、精神分析学の三つの分野でそれぞれ使われる別個の意味がある。このうち最初に与えられた宗教的意味としての「フェティッシュ」の語源の古くはポルトガルの「フェティコ」(呪具・護符)にあるといわれ、ポルトガル人航海者がアフリカへ旅行した時に現地人たちが崇拝していた様々な物品(貝殻、木片、動物の骨や歯、石、鏡、等々)を見て、それに対して、もともとポルトガル人が本国でカトリックキリスト教の聖遺物や護符などを呼ぶ時に使っていた言葉「フェティコ」を当てたものとされている。
例えば、「フェティッシュポルトガルのフェティコから来た言葉で、その意味は迷信的御守り、または魔術的な薬物である」(キャンベル)、「フェティッシュはアフリカ、ギニアの原住民の神の名称。彼らはそれぞれの地域にひとつ、それぞれの家族に個別的なフェティッシュを持っており、この偶像は彼らのファンタジーによって時には樹木であったり猿の頭だったりする」(18世紀フランスの『百科全書』)等という記述が一般的に知られているところである。
シェルトンの指摘どおり、「フェティシズム」は当時のアフリカ宗教の総体として「宗教の原始的形態」であり、西洋キリスト教世界に於ける「魔術」、「偶像崇拝」であると認識された、つまり非キリスト教宗教を魔術であり、偶像崇拝として否定的に扱う西洋合理主義の見方が「フェティシズム」という言葉の由来の中にまるごと収められていたのである。
(中略)
このようなアフリカ宗教へのキリスト教的偏見の中から発生した「フェティッシュ」という言葉は、その後、マルクス経済学の「物神崇拝」、ビネやエビングといった精神病理学、心理学の分野では「節片淫乱症」といったいずれも否定的なニュアンスで定着する羽目になったのである。
もちろん、今や現代思想、現代美術、変態性風俗などの分野で「フェティシズム」は肯定的に認知された言葉だ。しかし、この「肯定」はあくまで従来の「否定」の上に立った認知である事を忘れてはならない。

最後の段落の「現代思想、現代美術、変態性風俗」を並べているところなどは、思想家としての秋田昌美の面目躍如だろう。
あと、いまさらの指摘かも知れないけれども、私や多くのネットユーザーにとってPCや携帯電話などのモバイル端末や、テレビやCDやDVDや雑誌や書籍は物神である。そのなかのどのような「対象」に萌えるかという問題は、このメディア・フェティシズムの議論の一部を為すに過ぎない。