2008-01-01から1年間の記事一覧

白井聡『未完のレーニン』も読んでいる。

プロレタリアートとブルジョワジー(労働者と資本家)の対立から「国家」が生まれ、この第三項たる「国家」によってプロレタリアートとブルジョワジーの直接的な対立がなくなること。ブルジョワジーは国家から経済的な支配力を保証され、逆にブルジョワジー…

『作業日誌2004-2007』を読んでいる。

今日は2005年まで読み終わった。あと2年。 知人がブログで「これくらいのことはみんなやってないのか」と言ってた。 確かにこれが賞を貰うのはなんか違うんじゃないのかと思うけど、それも含めて、現在の狂った状況を浮き彫りにしているとは思う。ちなみに賞…

エストニアの現代音楽

アルヴォ・ペルトがとくに有名だけど、レポ・スメラという作曲家が割と好き。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%9D%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%A1%E3%83%A9 複雑性を孕んだ単純さとポップさがいい。でももう故人か。 Sym 5/Music for Co/in Mアー…

水声通信vol.23林・鈴木往復書簡

複製がになってもあまり多くを失わないような、移動可能なイメージ、そうしたイメージが存在するのではないでしょうか。しかしそれは、エロティックな要素が欲望に働きかけるといっただけのことでもないはずです。 そこかしこに独立した場面が展開していて、…

『精神と記号』より

映画に固有の有効性は、その前シニフィアン的な象徴的諸要素やその非シニフィアン的な諸要素―視覚的形姿、色彩、音響、リズム、顔貌の描線、言葉等といったものの連鎖や動き―に依存しつづける。幾百年、幾千年も前から、表現手段としてほとんど変化のない言…

『アンチ・オイディプス』二十四日目

第三章 未開人、野蛮人、文明人 第十節 資本主義の表象 夢において、リオタールは、きわめて美しい文章で、そこで働いているものがシニフィアンではなく、むしろその下にある形象的なものであり、それがイメージの配置を生起させることを指摘している。この…

『アンチ・オイディプス』二十三日目

第三章 未開人、野蛮人、文明人 第九節 文明資本主義機械 精神分析は、みずからは認めることを拒みながら、じっさいには経済的-金銭的依存関係のシステム全体を自分の扱うそれぞれの患者の欲望の核心に登録し、剰余価値を吸収する巨大企業をみずから組織して…

『歪形されたフレーム』、絵画と映画について

主に今回はショットと運動について。 たとえばゴダールの『パッション』では、ロマン派やバロックの巨大なタブローが、部分的に活人画の形態で再構築され、カメラや(その強制された不動性に対して震えたり、反抗したりすることで動かずにはいられない)モデ…

『歪形するフレーム』より

絵画の巨匠のタブローを模倣する写真は、その模倣に失敗するが、その失敗は絵画の単純で不完全な模倣とは区別されねばならない。ある意味で、その失敗は、機材によって、望まれプログラムされたものなのである。それはバルトが「プンクトゥム」と呼んだ屑を…

R.Walserと言えば

去年はこんなことをここで書いたのが見つかった。 http://d.hatena.ne.jp/negative-naive/20070222

メタルとクラシックとのリスナーがかぶってるというのはアメリカのRobert Walserが『Running with the devils』で1993年に指摘してたような気がする。数量的な研究ではなかったけど、いまさら英語圏の研究者が「発見」して驚くことじゃないだろうと言いたい…

村上隆について

<想像>的で鏡像的で、不純なるポップ*1 20世紀のロザリンド・クラウスに抗して・添いつついまから約20年前の1897年のロザリンド・クラウスは、そのさらに20年前にあたる1967年にマイケル・フリードが発表した「芸術と客体性」をめぐる討論会にコメントを寄…

マイケルジャクソンとスリラー

そうそう、ゾンビって、アフリカ大陸から連れてこられた黒人奴隷が中米で発達させたと言われる「ブードゥー教」から援用されたイメージなので、それをマイケルジャクソンが活き活きと演じているのはある種の文化批評的なパフォーマンスなのよ。あとそれとは…

なんだか気が滅入ってきてたのだが、戸田恵梨香よりむしろPerfumeの踊りの方がきつい - ハックルベリーに会いに行くで貼り付けられてたマイケル・ジャクソンの動画を見て元気が出てきた。上に引用した文章には大半の部分は納得ができるし、それでとりあえず…

『存在論的、郵便的』を数年ぶりに再読した

やー、なんか感動した。東浩紀って超すげえ。近々もう一回読み直してレジュメを作ります。 『葉書』は原書も買わないとな。存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて [ 東浩紀 ]ジャンル: 本・雑誌・コミック > 人文・地歴・哲学・社会 > 哲学・思想 > 西…

『パッション』読了

言うべきこと、書くべきこと、なすべきことは、それが言われたり書かれたりなされたりすることが当然であるとか強制されてやるとか、そうではないような機会にこそ「行われるべき」なのだ(ろうか)という議論。もっとも、そのように要約することは拒まれて…

現代の広告の役割について

ところであまりに愚直なんだけれども、その「図」に関するある意味での最先端である広告の地平について、仕事のこともあるのでちゃんと考えてみようと思う。なお、http://homunculus.exblog.jp/8577645/を読んで刺激を受けたということもある。小規模かつ短…

シュルレアリスムと「図」的なもの

水声通信のシュルレアリスム関連の特集号を読み、「図」的なものについて考えを巡らせている。それは「壁の絵」(鑑賞の「場」と結びついたもの)と、「本の絵」(携帯性が前提されているもの)との中間にあって、「よりポジティブな」隠喩として鈴木雅雄が…

メモ。社会主義と文学@近代日本とロシア

先日、近所に油そばを食べにいったところ何故か柄谷行人の『近代日本の批評』の文庫本が置かれており、ちょっと読んでみたところやはりとても面白かった。 もともとは宗教的な概念である「転向」が、マルクス主義者になること、さらにそれを放棄することにか…

メモ:逃げちゃダメだって声が

頭の中で鳴りやまないとか。私のことではないけど。 関連↓ http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/searchdiary?of=100&word=%EF%BF%BD

舞城王太郎『九十九十九』まもなく読了

九十九十九 (講談社ノベルス)作者: 舞城王太郎出版社/メーカー: 講談社発売日: 2003/04/07メディア: 新書購入: 2人 クリック: 47回この商品を含むブログ (149件) を見るを今更ながらトイレにおいて読んでいる。 最近ははてなでほぼ毎日更新している「闇夜」…

↑の追記

そういえば『×××』の監督はJ.A.ロメロの大ファンだということで、上記のような社会批評的な読みは期待されていないものではないと私は思う(さすがに深読みの方向性や深さまでが、監督の期待どおりだとは請け負えないが)。

http://jp.youtube.com/watch?v=vszxHGFlG9w&eurl=http://illcomm.exblog.jp/8477620/ ↑『ダークナイト』とコレの関連を考えてみたい。 ちなみに白井聡『未完のレーニン』によるとレーニンは社会変革への中間の段階を無視しているという点で、他の点では親近…

『×××』の試写に行ってきました。

なんか不安なんで映画のタイトルは伏せ字にするけど、読んだらわかる人にはわかるはず。『×××』は血と痛みを求めてやまない類のバカから、映画を深読みせずにはいられない類のバカまで観客を選ばない立派な作品だ。

『スピードレーサー』観てきた

昨日、新宿ミラノで。「たけくまメモ」と「たけくまメモ」でリファされてた小飼弾氏のブログ、そしてその小飼弾氏の奥様の「いいから」に触発されて。感想はひとことでまとめると「劇場で観られて本当に良かった。インターネット、そして竹熊健太郎氏と小飼…

テヅカ・イズ?

思うところあってまた『テヅカ・イズ・デッド』を読み返している。「キャラ」という概念について考えるため。いろいろと思うところがあるけれど、今回は引用を中心とする。ちなみに「フレームの不確定性」はマンガだけに留まるべき概念ではないし、フレーム…

『アンチ・オイディプス』二十二日目

第三章 未開人、野蛮人、文明人 第八節 原国家 ところが、何という忘却がこの起源にふりかかることか。つまり潜在状態が国家そのものを襲い、ときにはそこでエクリチュールは消えてしまう。まず私有財産の、ついで商品生産の攻撃をうけて、国家は衰弱に陥る…

『ダークナイト』

昨夜はダークナイトを観てきた。思ったことが多く、あとでちゃんと書きたい。

『アンチ・オイディプス』二十一日目

第三章 未開人、野蛮人、文明人 第七節 野蛮な表象、あるいは帝国の表象 (二十日目 「第六節 野蛮な専制君主機械」は引用したいところも、特に思ったこともなかった。) とりわけ、表象の表層的組織において変化するのは、声と書体との関係である。ずっと昔…

SITE-ZEROの文章より

ルクレールの創意は、「徴」を「性感的差異」la différence érogèneないし「快感の隔差」l'écart du plaisirの身体への記入として捉え返すことで、「文字」をセクシャリティの問題系へと接合してみせたことにある。本書第4章「文字の身体、または対象と文字…