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『サイバースペースは何故〜』東浩紀を再読

ユリイカInterCommunication連載時に眼にして以来、私が東浩紀に注目すべきだと信じるに至った論考が先だって講談社がまとめた論集にようやく収められたのでずっと再読したかったのだがタイミングが合わずにとうとう今日久しぶりに読み返し始めることになっ…

ポップとパンク

ポップとパンクは類似している。 ポップ・アート(およびポップ・アート以降のアート)に代表されるファクトリー形式の制作というのは、近代以前の徒弟制度的な制作スタイルと同じであり、それは「現代的であることが同時に中世的である」というパラドックス…

工学主義的建築における思考

東浩紀がコメンテーターとして出席されるようなのでメモ。行かないと思うけど。 建築夜楽校2008 テーマ:グローバル社会における「建築的思考」の可能性主 旨: 商業施設のインテリアでは、什器や商品のレイアウトによって購買客の動線や視線をコントロールし…

「ディスクール、フィギュール」の翻訳が

上記で引用したエントリによれば、合田正人によって進められているらしい。刊行が実に楽しみ。

大きな物語について

「大きな物語」について、ちょっと考えれば誰でも思い当たりそうなのに、意外に勘違いされていて、もしかしたら私が間違っていたのかと思っていたんだけれども、別のところでも同じようなことを言っている人がいたらしいのでメモがわりに引用しておく。要す…

現代的な「フレーム」とは

まだ考えている最中なのだけれど、伊藤剛的なマンガのフレーム、ボニゼール的な映画・絵画の対比におけるフレーム(あるいは額)はそれぞれ批判を免れないだろう。 まず伊藤剛的なマンガのフレーム概念は、それは「マンガに限定することができない」という消…

『歪形するフレーム』読了

70年代以降の、低迷していた「カイエ・デュ・シネマ」をダネーとともに牽引した編集者であり映画評論家でもあるパスカル・ボニゼールによる映画評論集。『映像―運動』『映像―時間』刊行した頃のドゥルーズが、ボニゼールにこの本をまとめるよう勧めたとのこ…

『アンチ・オイディプス』二十五日目

第三章 未開人、野蛮人、文明人 第十一節 最後はオイディプス 家族が社会野の外におかれるということは、家族にとって最大の社会的機会でもある。なぜなら、それは、社会野の全体が家族に適合することが可能になる条件だからであるからである。個々の人物は…

K様

k様として知られるkagami氏の最近の日記が凄い。以前からフェミニスト的な視野をロリコンがどのようにして引き受けられるのかを論じていたりして興味深く思っていたけれど、精神的および経済的な困窮の極致にあって、なんとか生き延びようとしている姿に慄か…

白井聡『未完のレーニン』も読んでいる。

プロレタリアートとブルジョワジー(労働者と資本家)の対立から「国家」が生まれ、この第三項たる「国家」によってプロレタリアートとブルジョワジーの直接的な対立がなくなること。ブルジョワジーは国家から経済的な支配力を保証され、逆にブルジョワジー…

『作業日誌2004-2007』を読んでいる。

今日は2005年まで読み終わった。あと2年。 知人がブログで「これくらいのことはみんなやってないのか」と言ってた。 確かにこれが賞を貰うのはなんか違うんじゃないのかと思うけど、それも含めて、現在の狂った状況を浮き彫りにしているとは思う。ちなみに賞…

水声通信vol.23林・鈴木往復書簡

複製がになってもあまり多くを失わないような、移動可能なイメージ、そうしたイメージが存在するのではないでしょうか。しかしそれは、エロティックな要素が欲望に働きかけるといっただけのことでもないはずです。 そこかしこに独立した場面が展開していて、…

『精神と記号』より

映画に固有の有効性は、その前シニフィアン的な象徴的諸要素やその非シニフィアン的な諸要素―視覚的形姿、色彩、音響、リズム、顔貌の描線、言葉等といったものの連鎖や動き―に依存しつづける。幾百年、幾千年も前から、表現手段としてほとんど変化のない言…

『アンチ・オイディプス』二十四日目

第三章 未開人、野蛮人、文明人 第十節 資本主義の表象 夢において、リオタールは、きわめて美しい文章で、そこで働いているものがシニフィアンではなく、むしろその下にある形象的なものであり、それがイメージの配置を生起させることを指摘している。この…

『アンチ・オイディプス』二十三日目

第三章 未開人、野蛮人、文明人 第九節 文明資本主義機械 精神分析は、みずからは認めることを拒みながら、じっさいには経済的-金銭的依存関係のシステム全体を自分の扱うそれぞれの患者の欲望の核心に登録し、剰余価値を吸収する巨大企業をみずから組織して…

『歪形されたフレーム』、絵画と映画について

主に今回はショットと運動について。 たとえばゴダールの『パッション』では、ロマン派やバロックの巨大なタブローが、部分的に活人画の形態で再構築され、カメラや(その強制された不動性に対して震えたり、反抗したりすることで動かずにはいられない)モデ…

『歪形するフレーム』より

絵画の巨匠のタブローを模倣する写真は、その模倣に失敗するが、その失敗は絵画の単純で不完全な模倣とは区別されねばならない。ある意味で、その失敗は、機材によって、望まれプログラムされたものなのである。それはバルトが「プンクトゥム」と呼んだ屑を…

R.Walserと言えば

去年はこんなことをここで書いたのが見つかった。 http://d.hatena.ne.jp/negative-naive/20070222

メタルとクラシックとのリスナーがかぶってるというのはアメリカのRobert Walserが『Running with the devils』で1993年に指摘してたような気がする。数量的な研究ではなかったけど、いまさら英語圏の研究者が「発見」して驚くことじゃないだろうと言いたい…

村上隆について

<想像>的で鏡像的で、不純なるポップ*1 20世紀のロザリンド・クラウスに抗して・添いつついまから約20年前の1897年のロザリンド・クラウスは、そのさらに20年前にあたる1967年にマイケル・フリードが発表した「芸術と客体性」をめぐる討論会にコメントを寄…

『存在論的、郵便的』を数年ぶりに再読した

やー、なんか感動した。東浩紀って超すげえ。近々もう一回読み直してレジュメを作ります。 『葉書』は原書も買わないとな。存在論的、郵便的 ジャック・デリダについて [ 東浩紀 ]ジャンル: 本・雑誌・コミック > 人文・地歴・哲学・社会 > 哲学・思想 > 西…

『パッション』読了

言うべきこと、書くべきこと、なすべきことは、それが言われたり書かれたりなされたりすることが当然であるとか強制されてやるとか、そうではないような機会にこそ「行われるべき」なのだ(ろうか)という議論。もっとも、そのように要約することは拒まれて…

シュルレアリスムと「図」的なもの

水声通信のシュルレアリスム関連の特集号を読み、「図」的なものについて考えを巡らせている。それは「壁の絵」(鑑賞の「場」と結びついたもの)と、「本の絵」(携帯性が前提されているもの)との中間にあって、「よりポジティブな」隠喩として鈴木雅雄が…

メモ。社会主義と文学@近代日本とロシア

先日、近所に油そばを食べにいったところ何故か柄谷行人の『近代日本の批評』の文庫本が置かれており、ちょっと読んでみたところやはりとても面白かった。 もともとは宗教的な概念である「転向」が、マルクス主義者になること、さらにそれを放棄することにか…

舞城王太郎『九十九十九』まもなく読了

九十九十九 (講談社ノベルス)作者: 舞城王太郎出版社/メーカー: 講談社発売日: 2003/04/07メディア: 新書購入: 2人 クリック: 47回この商品を含むブログ (149件) を見るを今更ながらトイレにおいて読んでいる。 最近ははてなでほぼ毎日更新している「闇夜」…

テヅカ・イズ?

思うところあってまた『テヅカ・イズ・デッド』を読み返している。「キャラ」という概念について考えるため。いろいろと思うところがあるけれど、今回は引用を中心とする。ちなみに「フレームの不確定性」はマンガだけに留まるべき概念ではないし、フレーム…

『アンチ・オイディプス』二十二日目

第三章 未開人、野蛮人、文明人 第八節 原国家 ところが、何という忘却がこの起源にふりかかることか。つまり潜在状態が国家そのものを襲い、ときにはそこでエクリチュールは消えてしまう。まず私有財産の、ついで商品生産の攻撃をうけて、国家は衰弱に陥る…

『アンチ・オイディプス』二十一日目

第三章 未開人、野蛮人、文明人 第七節 野蛮な表象、あるいは帝国の表象 (二十日目 「第六節 野蛮な専制君主機械」は引用したいところも、特に思ったこともなかった。) とりわけ、表象の表層的組織において変化するのは、声と書体との関係である。ずっと昔…

SITE-ZEROの文章より

ルクレールの創意は、「徴」を「性感的差異」la différence érogèneないし「快感の隔差」l'écart du plaisirの身体への記入として捉え返すことで、「文字」をセクシャリティの問題系へと接合してみせたことにある。本書第4章「文字の身体、または対象と文字…

『自我論集』「子供が叩かれる」より

性倒錯はエディプス・コンプレックスから由来するものであることが一般的に確認されるとすれば、エディプス・コンプレックスの重要性が、さらに高まることになる。我々は、エディプス・コンプレックスは神経症の本来の中核であり、エディプス・コンプレック…